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2018.03.12 Monday

3月11日〜7年が過ぎました。

年月が流れたとしても、ごまかされてはいけない。

広葉樹と針葉樹は違うんだよ。
セシウムの中にも放射線量が減衰するものもあればそうでないものもあるんだから。
そういうこと、子供たちに教えているんでしょ?
純粋な彼女の言葉が耳に残っています。そうあるべきが、そうもいかないという現実。
それが真実。
開通した道路の行き着く先は機関困難区域でした。
当たり前のことなんだけど震災直後を思い出して、がっかりしてしまいます。
テレビでは、まだまだ放射線量が高くても除染が終わったと
家に帰った人を応援する番組が放送されている3月11日。

 
答えなんて出せれない。
でも7年だから?なんとかしようと焦ってみたり落ち込んでみたりするけれど
心が動くのは当たり前のこと。
それでいいんじゃないかと思います。
みんな迷っていいのだと思います。
人間は強さと弱さの両方を持っていて、それを認めることで優しくなれるのかもしれません。
「7年だね」福島に通い始めて出会った友人夫婦と福島の郷土料理を食べながら語り合いました。
お店は私達が福島に通ううちにお友達に教えてもらったお店です。
元気な私たちに会って話すことで明日を迎えることができると彼らは言います。でもそれは私達も同じこと。
あの日が無かったら人生は違っていたかもしれない。
私たちもあの日が無ければ、この地に足を運ばなければ今は無いと思うのです。
思えば、あまりにもたくさんのことがあって夢中に過ぎた7年間。
私達と同世代のお友達は、ここで60代という人生の節目を向かえるにあたって何か忘れ物をしてきたような本音を語ってくれました。
それぞれに生き方があります。
前向きに未来を見つめ、泣いていないで笑いましょう。
それができればいいけれど人の気持ちはそんなに単純ではありません。
3月11日。
私達が応援している飯舘雪っ娘カボチャの育ての親。
渡邊とみ子さんがパーティーを開きました。
「自分がやってきたことの形をのこしたい」
とみ子さんにとって雪っ娘カボチャは震災の前からの苦労の結晶です。震災ごときで原発事故ごときでダメになってたまるか!
その情熱と地道な努力が周りの人を動かし、今、メディアにも取り上げられ、カボチャは市場を広げるに至りました。
その雪っ娘カボチャとの記録を本に書き下ろし自費出版。その出版記念のパーティーとなったのです。

とみ子さんの相棒の熊谷則子さんとお話をしました。「区切りになるね。何も変わらない。今までもこれからも大変なことは変わらないけれど春になるからね。畑に種蒔かねばなんね」そして目には涙がいっぱいになりました。

それぞれの生き方があります。

成功すれば妬まれることもある。

泣いたり笑ったり怒ったり。

私達も大好きな、とみ子さんの旦那様は妻を、故郷を愛する日本男児。嬉しそうに緊張した笑顔を見せてくれました。

「元気でいなきゃダメだよ」

お声かけしたらニヤニヤ。

ほんとうに素敵な方です。
私達はお客様のためのBGM演奏。

そしてステージでお祝いの演奏をさせていただきました。

7年が過ぎたこの3月11日に、この場にいて明日を考えることができたことに感謝しています。

「種蒔かねばなんね」だからね。

 

 


 

 

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