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2017.03.20 Monday

今を生きる

6年目の3月11日の夜中、私たちはやっぱり福島に向かうことにしました。

決め事があるわけでなく見れるものを見て会える人に会う。誰に会えなくとも感じること考えることを大切にしたい。
折りしも都内で私たちには縁のない大きなスポンサーの復興支援のコンサートを観る機会をいただきました。
ちょいと背中を押されるようにコンサート終演とともに車を走らせました。予定はないようであるものです。
いつも午前中の演奏のために時間調整をしていた安達太良SA
ずいぶんと線量が下がったものです。
車中泊をする車の数も減りました。
この3月で非難解除。
終わらない被害が終わったことになろうとしています。
翌朝の安達太良山は完璧でした。
私たちが福島に来ていることを知って「飯舘に来れますか?」の連絡をいただきました。帰村準備をしているお友達からの連絡で飯舘の自宅を見せていただくことに。
どうして飯舘の人は帰りたいのですか?と聞かれたことがあります。
私がその方に、自分の故郷の村が飯舘と同じことになったら、あなたはどうしますか?と聞くと、その人は答えに詰まってしまいました。まさか、自分にとって一番美しい場所がそんなことになるなんて誰も想像することはできないのです。だから他人事にしかならず、そんな質問が出てきてしまうのでしょう。机の上で考えれば帰るべきではないのかもしれません。でも理屈では答えを出すことのできないこともあるのです。そして今を生きるためには、その理屈ではない部分に深いものがあるということを忘れたくありません。
このテラスに座って夕暮れの林檎畑を眺めます。
そんな風景を想像してみました。
一つ一つ丁寧に手作りの暮らしがそこにありました。
木の幹を撫でながら、これはブナ、これはカツラ・・・
自然は人の営みにかけがえのない恵みを届けてくれていました。
母屋にピアノがありました。
ずっと昔の高い買い物です。
楽器のために。そこに住み人のために早速弾かせていただきました。この部屋はリフォームをしてのこすとのことでしたので、また改めて弾かせていただくお約束をしました。
ここで暮らした日々の賑やかな喜び。高鳴る思い。夢。それを叶えてくれる家族。恥ずかしいことにも、厳しかったことにも無邪気な懐かしさが聞こえてきました。リフォームの1歩として煮炊きができるようになったところでしたので束の間の嬉しさが満ちていました。でも、放射性廃棄物の並ぶ地面に対しては、あんなものが置かれていては先は見えない。はっきりと吐き捨てるように現実をつぶやいていました。
美しい村は、それだけで美しいまま想像することができます。でも現実から目を背けてはいけない。
この6年間突きつけられてきたことがあるから丁寧に今を生きる力になる。
私たちは祈らずにはいられません。
帰宅してから気がついたことがあります。
夕方、私の家の近所からはそれぞれの家の美味しそうな夕ご飯の匂いが流れてきます。
過去にはたぶん飯舘の夕暮れには匂いがあったに違いない。美しい村の人のぬくもりは胸の熱くなる匂いを想像させます。
今、そこには匂いがありません。その匂いがどんなにか貴重なものかということを気づくところから私は始めたいと思います。

 
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