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2024.02.06 Tuesday

語り部とのコラボ

2024.1.28 日野市でのイベント
「忘れてないよふくしま」語り部の渡邉とみ子さんの講演とコラボさせていただきました。
ボランティアで演奏をしていた経験からのつながりからのご依頼だったのですがボランティア演奏を再現するのでは芸がありません。
と言うよりは時が流れた今夫婦ののライフワークとしての演奏を聴いていただきたく、通い続けた日々を振り返りながら。
昔から繰り返されてきた人災、天災を中世のメロディにのせて語らせていただきました。
どんな時代にもどん底の哀しみがあってそれを乗り越えて人は生きてきたのだということ。
そして、そこには音楽があったのです。
渡邊とみ子さんとはボランティア仲間の紹介でお友達になりました。七転び八起きどころではない。頑張っている人です。
私自身演奏をしながらプライベートではなかなかに大変な日々でしたので彼女から生きる勇気をもらいました。
いつのまにか夜を語り明かす間柄になりました。
「あきらめないことにしたの」はとみ子さんの名言です。
そして丁寧な生き方『までい』の精神は母や祖母を思い出します。
この「あきらめない」はいつもどこでも貴い精神、スピリットですね。
きっと何百年もの昔も人は「あきらめない」と心に念じてきたに違いありません。
一部が私たちの演奏。二部がとみ子さんの講演でした。
日野市のスタッフの方も「あきらめない」気持ちで今回のイベントを成功させたとのこと。
有難いことでした。
2024.01.01 Monday

1年ぶりの投稿です。

12月10日八千代管楽オーケストラの第37回定期演奏会でした。

 

今回、私はステージマネージャー。

合奏には参加しませんでしたが裏方を楽しみました。

相方はホルン目いっぱい楽しんで充実していたようです。
 

想えば去年の演奏会、母の危篤の知らせが入ったのは本番の直前でした。
演奏会が終わって鬼のように車を走らせて母のもとへ。
もうここ何年も前から声をなくしていた母が言葉にならない声を吠えるように発して
それが怒っているのか喜んでいるのか?とにかく意識の朦朧としている中でも私のことをわかってくれました。
感謝しかありません。
コロナのため会うこともままならずの日々でした。
それでも私しか頼る相手のいない母は寂しかったと思います。
翌朝、早くに母は息を引き取りました。
それから1年、私はブログを書くことができないでいました。
せめて演奏の記録は書かなくちゃと思いながら日々が過ぎて行きました。
有難い巡り合わせ。嬉しい出会い。この一年も色々なことがありました。
夫婦のライフワークです。
音楽をやってて良かったと思います。
親の介護が終わったら自分たちの老後とも向き合っていかなくてはなりません。
良い年のとりかたをしたいと思っています。
2022.11.27 Sunday

お寺でコンサート

北鎌倉の光照寺というお寺でコンサートをさせていただきました。

こちらで演奏させていただくお約束をしたのは今年の初めの頃だったと思います。
それから我が家ではいろんなことがあって、もう今年はできないかな?と思っていたのですが
ぎりぎり滑り込みセーフで11月のコンサートが決まりました。
とても落ち着いた空間を演出していただきお客様も温かく幸せな時間でした。
秋は切なく。人恋しく。
今年は夫婦で演奏しながらも、それができなくなったら?という思いが頭をかすめる。そんな年でした。
そんな思いもこめて今昔の愛の曲を集めて艶っぽく語るつもりでプログラムを作りました。
でも私たちが語ると艶っぽいにはほど遠く、どんなにか悲恋だとしてもほっこりしちゃうみたいです。
こちらのお寺は昔隠れキリシタンがお参りしていたという歴史があります。関東にもそんな集落があったということに驚いたのですが
九州から流れて来たお姫様の話とか秘め事というのはロマンそのもの胸がざわつきます。
広くない本堂には貴重なロマンの証のような宝物がいっぱいでした。
お友達でもある副住職さんによる おりんが開演の合図です。
彼にはコンサートの中でも、おりんと木魚でコラボしていただきました。
当日、決めての本番だったのですが、さすがお坊さんは度胸が据わっています。彼は素晴らしいミュージシャンとして演奏に参加してくださいました。
ステージはこんな感じ。
お寺の中では客殿というお部屋です。

一緒に時間を過ごしてくださった方々に感謝をこめて。
ありがとうございました。
2022.11.23 Wednesday

青空の下で秋の恵み

応援している飯舘雪っ娘の収穫祭〜ここのところは八王子磯沼ファームで青空の下で開催されています。

飯舘雪っ娘カボチャは福島県飯舘で生まれた美味しいカボチャです。種を繋ぐために全国展開で生産されています。
八王子や調布でも生産者の輪が広がってますます美味しいカボチャに成長しています。
近年の異常気象がカボチャ作りにも影響して暑い夏の苦労や心配ごとも尽きることは無いけれど今年は大きなカボチャが沢山収穫されたようです。
磯沼ファームには石窯があるので雪っ娘ののったピザを食べました。
丸ごとカボチャのグラタンやマッシュパンプキン。。。
お外のご飯はピクニックのようで楽しいね。
11月23日、本日は飯舘の道の駅で収穫祭です。
コロナ時代になる前は毎年、会場で演奏をさせていただいていましたが行かなくなって寂しいです。でもみんな頑張っていて笑顔が時間を忘れさせてくれます。
雪っ娘カボチャを紹介してくれた埼玉の熊谷農園のお友達は震災で飼い主さんと一緒に暮らせないワンちゃんの里親もしています。
もう福島に帰ることのできない飼い主さんとお話をすることはあっても最後まで看取ることになります。
可愛がっていたコロちゃんが昨日の朝亡くなったと言う知らせが入りました。
家の近くの川の公園で遊んだことがあります。
コロが子供の頃遊んだ川内村に連れて行ってやりたいね。なんて話したことを思い出します。
2022.11.22 Tuesday

会えました。

コロナの時代になって「生きて会おうね」が冗談じゃなくなってしまいました。

そしてお互いが歳を重ねコロナでなくても病気になったり身体のあちこちに支障が出て何が起きるかわからないわけです。
お互いにもう会えないかもしれないと思うことが重なりましたが会うことができました。
この人はかつて私の先生でした。遠慮なく何でもずばっと言ってくれて、出し惜しみしないその言いようは面白くもあり可愛くもあり教えてもらったことよりも影響を受けたことの方が沢山あったような気がします。
影響を受けると言うのはその時には気がつかないことでも後になってしみじみわかることなのかもしれません。
一緒に写真を撮りながら、もう先生とは呼ばないと約束をしました。
先生と呼んだら罰金だそうです。昔、ミスタッチをしたら罰金なんてことがあったんですが覚えていないそうです。
そんなわけでこれからは名前で呼ばせていただきます。
そうは言いながらちょっと話が盛り上がれば学びになることが盛りだくさん。
それが楽しくて貴重な時間となりました。
相方は20代の頃、私がレッスンで遅くなっても駅で待っていてくれたり演奏会にも一緒に聴きに行っていたので当時から良く知っているのですが今回は相方も、とても仲良くさせていただきました。
日本を離れて富士山を想う気持ちを聞いていましたので富士山を彼の運転で案内したいと思っていたのですが私たちが仲良くしているので焼きもちを焼いて富士山は隠れてしまいました。でも素晴らしい紅葉を観ることができました。
富士山の湧水〜忍野八海
草餅を食べました。
凄く美味しかったです。
浅間神社でおみくじ
美味しい海鮮を食べたり、海で花火を観たり、一緒に温泉入ったり、アウトレッドで買物したり。。。。楽しいこといっぱいしました。
今回は生後5か月のお孫さんに会いに来たので私も抱っこさせてもらい、
私のハープも聴いてもらいました。
帰りは荷物も多くて凄そうだから羽田に送りに行って飛行機見えなくなるまで見送りました。
もう身内のノリです。ありがたいことです。

 
2022.10.18 Tuesday

鶴岡へ行ってきました。

山形県の鶴岡で演奏させていただくお話の最初はコロナの流行の直前くらいだったと思います。

前々から最上川舟唄に想いを寄せその船下りの歴史から北前舟で栄えるかの地ということで酒田には来たことがあったのですが
鶴岡に音楽の友達ができたので改めて行ってみたいと思っていました。
残念ながらコロナの流行で演奏のお話は自然消滅してしまい、月日は流れ「行きたいなぁ」というつぶやきに
今回お誘いをいただき鶴岡行きが実現しました。ありがたいことです。
友達、仲間の集まるコンサートなのでそのままフレンドシップコンサートです。
わくわくするネーミングです。
遠方からの参加ということ。私たちが演奏する楽器が珍しいということで、演奏仲間のみなさんが楽しみにしていてくれていました。
会場が広いので楽器の音がどこまで届くのか?とても心配。そして長距離移動で調弦が。。これも心配。
控室で思い悩んでいたので疲れているのではないかと気を遣わせてしまいました。
リハーサルになって初めて音響の様子がわかったのですが思った通り小さい音の楽器にはなかなか難しい会場でほとんどの方がマイクを使うとのことでした。
マイクを使うように勧められたのですがお断りして本番に臨むことに決めました。
信じて響かせれば楽器は鳴ってくれる。マイクに頼ればひなびた古の音色を聴いていただくことができない。
そんな想いをこめてチャレンジしました。
マイクについては用意していったMC用のマイクも不調で、こうなると覚悟を決めるしかありません。
でもこれは自分にとっての良い修行になりました。
楽器の音に耳を澄ます。耳を澄ませば聴こえてくるものがあります。
私のMCは声を発するのは私だけですがお客さんといつも会話をしています。
お客さんの声もよく聞こえました。
そして私たちの演奏に耳を澄ませてくださったお客様に感謝です。
最後に演奏した最上川舟唄はほんとうに久しぶりの演奏で今回はさらに新しいアレンジを加えて演奏しました。
ここでは誰もが知っている最上川舟唄です。
心から喜んでいただけたのが有難く伝わりました。
私の手って大きい?
何、喋ってんだろう?
鶴岡のお友達とのコラボです。
黙々と。。
言葉少なくとも音を重ねる喜びは大切な思い出です。

ハープソロは音の響きを確かめながら、いつもよりゆっくり演奏しました。

入院があって、もう吹けないと思っていたツィンク復活しました。
実際現代の最上川下りシーカヤックをやるお友達が川の上流から駆けつけてくれました。
彼は奥様と美味しいりんご園をやっています。
久しぶりの再会です。
最上川舟唄を褒めていただきました。
写真も撮っていただきました。
鶴岡で出会った新しい音楽友達。また私たちの財産が増えました。
また音を重ねることができますように。
2022.09.29 Thursday

今どき入院事情

少し前のことですが相方が、のっぴきならない病気になって入院をしました。

世の中がコロナで落ち着かないこんな時に誰だって入院なんてしたくありません。
もちろん面会は謝絶。
PCR検査も何度もやりました。
それにしても、この入院は長かった。「命にかかわるから帰すわけにはいかない」まで言われたので抵抗もできない入院でした。
原因も治療方法も判明しないままでの入院だったので、とても心配しました。
でも本人は元気で前向きな性格(気楽?楽観的?とも言います)夫婦とも、その性格に救われたと思っています。
長い入院でもお見舞いができて時々顔が見れるなら、お互い安心できるんですけどね。
そこまで厳重に警備のうるさい病院ではなかったので私たちは、ちょっとズルをしました。
洗濯ものの受け渡しは人に頼みたくなかったので相方が検査や診察で下に降りてくる時間を見計らってエレベーターの前でやりとりしました。時々お目付け役の看護師さんが一緒の時もあって、そういう時は「今日はダメね」目くばせだけで終わる日もありました。本やWi-Fi。ラジオなどなど。色々運びました。
突然の入院だったこともあって、よく思いつくなぁ。ってくらい持ってきてのラインがありました。
退院の目途がついた2〜3日くらいでまで毎日のように運ぶものが続きました。
もちろん正規のルートで受付に頼んで病室に届けてもらう時もありました。
お願いするしかないのですがこういうのは確信がなくて嫌ですね。
先生のお話を聞くために家族が呼ばれた時も病室には入れず、決断をしなくちゃならない場合もこっそり話をすることはできません。
だから私が決めちゃった。結果的にはそれで治療方針が決まって良かったのですがドキドキでした。
相方の不安そうな顔とホッとしたようなごちゃまぜの表情を今も思い出します。
その治療の成果があってどんどん良くなって本当に良かったです。
入院は3週間でした。

 

 
それから、この入院で見つかった腫瘍?ポリープ?を切除しなくてはならないとのことで手術のできる大きな病院にも入院しました。
内視鏡の手術は三泊四日でした。
こちらの病院は厳重なので最初から車で送って行って正面玄関で降ろしてさようならです。
入院の日の前にPCR検査とレントゲンがありましたけれど入院する人が大勢いてびっくりでした。
そしたら普通の病棟は満床でなんだかとっても高価な特別室?に通されてびっくりだったようです。
料金は普通の病棟の金額にしてくれました。
写真が送られてきましたけれど眺めが良くて私も入ってみたかったな。
手術の後は先生の話があるんですけれど電話がかかってきました。
退院は入院の時送って行った場所に迎えに行くだけです。
今回、私は病院の中には一歩も入りませんでした。

 
実はコロナの感染が始まったばかりの頃に
相方は別の手術を受けているのですが、その時は病室にも入れないのに手術が終わるまで待たされて先生のお話というものを聞きました。手術から帰ってくる相方の姿は見ましたが病室には入れてもらえませんでした。
あの病院は病棟に入る時はチェックがあって私は退院の時間にちょっと遅れたので病棟で待っている相方のところに入れてもらえないところでした。相方はそんな押し問答は夢にも知らず病棟の談話室で本を読んでいました。
手術の結果、腫瘍は良性だそうです。
いつのまにか、ずいぶんと病院のお世話になるような年になったものです。
でも相方はいつもいいタイミングで乗り切っているような気がします。
娘に言わせると「我が家はラッキーなんだよ」だそうです。
2022.09.16 Friday

お弁当記録

学生時代も彼のためにお弁当を作っていたけれど真面目に毎日のお弁当を作り始めたのは結婚した時からになります。

社員食堂なんて無い会社だからお腹を減らさないようにせっせと作りました。
とにかくご飯を沢山食べる人でお弁当箱にぎゅうぎゅうにご飯を詰めて、それでも足りないと言われて困りました。
年をとって最近はご飯を減らして野菜のおかず中心に。そんな日々でした。
今年5月に自己免疫性膵炎になって、やっぱり膵臓だから入院して3週間も絶食。点滴で栄養を摂取する経験をするはめになりました。なにしろ食いしん坊の人ですから、そしてお腹が空くと死にそうなくらい元気なくなっちゃう人なのでとても心配だったのです。でも何とか乗り越えて帰って来ました。
これだけ絶食するとさすがに胃が小さくなって沢山食べられない。そして突然エネルギー切れになるんです。
それでも少し休んで会社に行くようになって毎日ではないけれどお弁当を持って行っています。
前は育ち盛りの男の子の食べるような大きなお弁当箱だったのですが一度に沢山食べれないので小さなお弁当箱を買ってきて途中でお腹が空いた時のためにおにぎりも持って行くようにしました。
ステロイドを投与しているのでカルシウムが破壊されるとのことで、そのためのお薬も処方されているのですが蛋白質、カルシウム、鉄分を意識しておかずを考えました。
退院して3か月。ステロイドが少しずつ減ってご飯もしっかり食べれるようになったので、そろそろお弁当箱を少し大きくしようかな?野菜のおかずも増やしたいな。と思っているところです。朝作るんじゃなくてお弁当常備菜も使えると作る方も楽ちんですからね。
レバー 肉巻き お魚の味噌漬け 玉子焼き
ご飯は少ししか入らないからおにぎりを持って行きます。
膵臓は脂っこいものはダメと聞いたので揚げ物や炒め物は入れませんでした。
油なしでどれだけできる?挑戦です。
オーブンのフライヤー機能が役に立ちました。
お腹が空いて突然へとへとになった時のために。
今まではこういうものを食べない人でした。
いろんな種類を試して楽しんでいます。


 
2022.09.09 Friday

夏の大感謝祭

私がラムゼンハント症候群なんて困った病気になって入院したのは、もう8年も前のことになりました。

顔の表情がなくなり笑っても泣いても同じ顔の日々。

写真に写った顔を見て愕然とするけれど私自身は暮らしの中で自分の顔が見えるわけではないので何にでも積極的に参加して行動することにしていました。危なっかしい私を見ながら相方は冷や冷やしてたんだろうな。

その頃、大阪の仲間たちRMO(リコーダーマジックオーケストラ)のイベントに参加して相方がしみじみと「なんて楽しいんだろう!」とつぶやいたことを思い出します。
私達はあれから何度もRMOの笑いと涙に救われているように思います。

 
「コロナの時代、我慢も大切だけれど楽しいことは人を元気にするから、やらないで後悔するよりいいと思うんです。
メンバーの一人が関東にお引越しするということもあってのお別れイベント。何でもありで楽しいことします」
お誘いを受けたのは相方が自己免疫性膵炎という変な病気で入院するよりも前のことでした。
入院は3週間。絶食とステロイド治療。退院の時は体重が7キロも減って、すぐにへとへとになるし、ご飯も一度に沢山食べれない。
大丈夫なのか?
妻が心配するのは当たり前のことですけれど大阪のみなさんには本当に心配かけました。
家族以上の絆を感じちゃいます。
そんな中で以前よりずっと貪欲?になった本人がいました。
年齢的にも会社だって辞めてもいいのに行くって言うし、予定していたコンサートも何が何でもやるってことで実現させました。
大阪も。前は徹夜で走って車中泊でしたけれど、それだけは脅したりなだめたりで思いとどまってもらいました。

 
あれは何だったんだろう?ってくらいに元気になった相方。
今回は専門のホルンで演奏させていただきました。
私もピアノソロなんて本当に久しぶり。ショパンなんて弾いちゃいました。
何でもありだものね。。。ホルンが好評で嬉しかったな。

 
2022.09.02 Friday

鰻を食べる

2月に亡くなった姑の大好物が鰻だということは誰もが知っていることでした。

葬儀屋さんに生前お好きだったものは?と聞かれてみんな口を揃えて「鰻!」とこたえました。
お棺の中に旅のお供にと鰻が用意され一緒に煙になりました。
私は今でもお棺の中に立ち込める香ばしい匂いを想像してしまいます。
幸せな匂いです。そのくらい姑は鰻が好きでした。
家族もみんな鰻は大好きです。そんなわけで姑の新盆はみんなで鰻を食べました。

 
そして暑過ぎる夏。改めて鰻は身体に効くなぁ。と思うわけでした。
鰻は今や贅沢品。なかなか庶民の手の届かないご馳走になりました。
でも昔はもっと日常的に食べていたように思います。
そんな話をしていたら「縁側で雨の降るのをじっと見ていたら庭の池で鰻が跳ねた」
走馬灯のような昔語りを聞きました。
この人は昔から私を見守ってくれる故郷のお姉さんY子さんです。
Y子さんも鰻好き。話が盛り上がって鰻は身体のためにも食べなくちゃいけないということになり
「手術前には鰻を食べなさい」ということになりました。
相方が9月に入ったら手術を受けることになっていたので、ちょうど大阪に演奏に行く帰り道を利用して
姑の子供時代に食べていたかもしれない鰻を食べに行ってきました。
鰻は関東風と関西風ではさばき方も調理の仕方も違います。
関東風は蒸すという工程がはいるのでフワフワに。
関西風は焼いた時の香ばしさがあるので歯ごたえがあってバリっとしています。
私の父は関西風はくどいとも言っていました。
調べてみると姑が子供時代を過ごした三重県には鰻屋さんが沢山あってお値段もお手頃。
今回は三重県津市河芸町の、うなふじ支店でいただきました。
こちらではうな丼が主流。
鰻が何切れのっているかで値段が決まります。
下の写真大きな4切れがのっていて2000円しません。
ファミレス感覚のお客さんがいっぱい来ていました。
値段は同じでお店によって特徴があるようなので
また食べに来たいと思います。


 
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